有明望嶽庵 掲示板
大牟田井筒屋のこと - aonosato
2025/03/26 (Wed) 08:57:55
新栄町物語で、大牟田井筒屋にあった泉水の謎について、当時の社内報に興味のある記事がありましたので添付いたします。懐かしい想い出をありがとうございました。
Re: 大牟田井筒屋のこと - つじ
2025/03/30 (Sun) 21:17:57
aonosatoさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
井筒屋はゆめタウン大牟田からも撤退し、大牟田に井筒屋があったことは今は昔となってしまいしたね。
さて泉水のエピソードが掲載されている社内報をアップしていただきありがとうございます。
「10・2 虹のお買物広場は超満員」は1970年の開店の話ですね。
私もレンガ調タイルの井筒屋の出現には衝撃を受けました。「社内報」に「忘るな」と書かれていますが、私は生涯忘れることはないでしょう。
さて、この掲示板の画像は最大480✕480のようで、せっかくアップしていただいた画像がぼやけてしまいます。
もしよろしければ、記事の部分をトリミングした画像をアップしていただければ幸いです。
今後ともよろしくお願いします。
失礼いたしました
- aonosato
2025/04/02 (Wed) 09:20:51
おはようございます。
なにぶんPCに不慣れのため失礼いたしました。これで読めるでしょうか?
なつかしいですね - さく
2024/03/16 (Sat) 23:29:18
大牟田にあった店舗を調べていて辿り着きました。
「そう言えばあったなあ」と思い出す建物名がたくさんあり、懐かしくなりました。
これからも更新を続けていって下さい。
針尾無線塔の感想 - ハリーお
2023/10/22 (Sun) 22:05:09
はじめまして。
僕は佐世保市住みの古い建造物の愛好者です。建築関係の仕事をしているので、つじさんに近い人間と思います。
針尾無線塔の見学会の記事を見ました。
塔が倒れない理由は、つじさんが書かれているとおりで、モーメントの計算は成り立っていると思います。しかし、僕が人に聞かれたときに答える倒れない理由は、軍が造ったから、です。
つじさんも中ほどに書かれていますが、軍は過剰とも思えるくらいガッチリ作ります。だから倒れないのでしょう。同じ理由で旧海軍が造った佐世保の煉瓦倉庫は戦前の日本の煉瓦造りの中で最もガッチリしていると僕は思っています。
最後に書かれている保存についてですけど、僕も無線塔の愛好者でいつまでも見ていたいのですが、莫大な費用をかけてまで残すことには戸惑います。つじさんのおっしゃるとおり、いつか土に還ってもいいのでしょうね。
無線塔の造形美 - つじ
2023/11/28 (Tue) 20:15:42
ハリーおさん、はじめまして。
書き込みありがとうございます。
無線塔が倒れないのは、軍が造ったから、というのは大変納得できる理由ですね。
破壊を目的とした攻撃にさらされるのが軍事施設。だから堅牢な造りになっている…明快です。
加えて、佐世保の煉瓦倉庫はしっかりメンテナンスされていて、美しさも兼ね備えていますね。最高の保存方法は現役で使用することと思い知らされます。
さて、無線塔はどう保存していくのでしょう。
私の感性では、戦場に置き去られたトーチカが朽ち果てている…という様が、コンクリートという人が造った構造物の造形美と思っています。
本体のみならず、周辺の公園化などが検討されているようですが、ワタクシ的には、のどかな針尾島に無骨に無線塔が立っているというロケーションがネイティブでいいですね。
今後の取り組みに注目したいと思います。
松屋ミュージックサイレン - きんこちゃん
2022/04/11 (Mon) 14:20:13
懐かしさのあまり投稿をさせて頂きました。幼少期1960昭和35年〜中学3年の1971年昭和47年に小浜町の社宅に住んでいました。松屋ミュージックサイレンは、小浜町の五軒長屋の社宅迄はっきりと聞こえていました。朝のボルガの舟歌と夜の菩提樹は布団の中で聞いていました。以前下司さんからもミュージックサイレンのエピソードを直接お聞きしたのですが、曲目を選んだ人のこと、選曲についての事が分かりませんでした。今も謎なのです。もし、わかれば教えて頂きたく投稿した次第です。特にロシア民謡「ボルガの舟歌」に付いて知りたいのです。私としてはボルガの舟歌を労働歌として受け止めています。三池炭鉱の町に朝鳴り響くボルガの舟歌‼️拘り続けています。
返信が遅くなりました - つじ
2023/02/20 (Mon) 20:46:10
きんこちゃんさん、書き込みありがとうございます。
松屋のミュージックサイレンにつきましては、『おから研究室』で、自分の記憶とともにミュージックサイレンの再現をテーマとしていました。それ以上の話は、下司さんの情報以上のものは存じておりません。
松屋がなくなってしまった現在、Wikipediaのように、記憶を集積するしかないでしょう。
さて、ミュージックサイレンの選曲でありますが、全ての曲から推測すると、世界の名曲、日本の名曲から選ばれていると思われます。
・新世界よりラルゴ…ドボルザーク
・ボルガの舟歌…ロシア民謡
・埴生の宿…イギリス民謡
・菩提樹…シューベルト
・春の小川、夕焼け小焼け、浜千鳥…日本の童謡、文部省唱歌
ボルガの舟歌は労働歌であることは間違いないのですが、ロシアの舟引き人夫たちが辛い肉体労働の中でも、掛け声をかけながら、明るく仕事をした様子がうかがえます。
その点は、「インターナショナル」や三池の代表的な労働歌である「がんばろう」など、プロレタリア革命や労働運動をテーマとした労働歌とは性格が異なります。
私は、松屋のミュージックサイレンの選曲は大変文化性が高いものであると評価しています。
そうでありますから、辛い仕事の中で歌われた「ボルガの舟歌」を一日が始まる朝6時55分に流す意義は、大牟田の労働者を勇気づけるためのエールであったと勝手に解釈しています。
2023/02/27 (Mon) 07:23:10
きんこちゃん様、つじ様、おはようございます!
松屋のミュージックサイレン、私が大牟田に来る前に終わっていたので、自分では聞いたことがありません(T_T) けれども、ほんとに多くの人たちからその思い出をお伺いしました。ぜひ経験したかったなと残念です(^^;)
自分が体験した中では、各工場からお昼になると鳴り響いていた時報サイレンが耳に残っています。ミュージックサイレンにしても、時報サイレンにしても、現在では騒音苦情で成り立たない取り組みですね。懐かしい大牟田の音の風景です。
(つじ様が見事に再現されている松屋のミュージックサイレンの音源を、スマホやタブレットで再生させて、さも自分のもののように振る舞う人がたまにいますが、「有明望嶽庵」で公開されている音楽であることにちゃんと言及した上で使ってほしいものです。)
追伸 - 山田元樹
2023/02/27 (Mon) 07:29:37
↑上の返信に貼った画像は、つじ様のおから研究室に掲示されているものと同様(ほんのちょっと画角が違う)ですが、平成19年12月22日に解体中の松屋建物を見学させていただいた際に撮影したミュージックサイレンです。
Re: つじさま ボルガの舟唄 - きんこちゃん
2023/05/13 (Sat) 08:20:21
つじさま
有難うございました。ボルガの舟唄は労働者を励ます為の曲だったとの解釈に納得致しました。有難うございました。以前ある人から大牟田の町に朝から奴隷の歌が流れるとの話を聞いた事があり悲しく思った事があり拘っていて、選曲の理由を教えて頂きたかったのでした。ボルガの船曳き歌として調べてみると農奴が農閑期に荷を下ろした船を下流から上流まで綱を引いて働いていたと言う意味の事を書いてありました。歌詞にアイダダアイダ アイダダアイダとあり悲しいメロディの様に聞こえていました。minorの曲なので尚更船をひく労働が厳しく辛いものに思えていました。ヨイトマケの歌もボルガの舟唄から来ていると知りました。船引きの綱を樺の木に繋ぐ掛け声「よいと巻け」のようです。最初に戻りますが、「ボルガの舟唄は労働者を励ます歌‼️」として選曲された。戦後に入ってきたロシア民謡「ボルガの舟唄」が朝の始まりにピッタリだったのでしょう。静かに朝が明けていくメロディですね。
Re: 山田さま - きんこちゃん
2023/05/13 (Sat) 08:32:01
山田さま
まつやのミュージックサイレンの画像有難うございます。社宅ぐらしのきんこちゃんの発刊に当たっては校正をして頂き感謝いたしています。きんこちゃんの話の中から取り出した三川坑炭塵爆発の話をどうしても伝えていかなければならないと思い絵本にしました。三川坑で働き犠牲になった炭鉱労働者の事や戦時に炭鉱で働いた外国人労働者を忘れてはならないとの思いでした。絵を描いてくださった金斗絃さんから原画を譲って頂きました。韓国の方で日本に住んでいらっしゃり博物館の絵等も描かれた方です。今後原画を持って行きますね。
大牟田出身です - さくら
2022/02/13 (Sun) 05:10:00
はじめまして。私は辻さんの1年上になります。、長溝社宅に7棟に住んでいました。七夕幼稚園卒、七夕売店顧客でもあり、七夕社宅跡の整地された場所は我々は「高速道路」と呼んで、やはり自転車で走っていました。おそらく辻さんとはそこで出会ってるはずですね。
父はすでに職員になっていましたが、おそらく子供の転校などの事も考慮していたのでしょうか、高校1年になって小浜の職員社宅に引っ越しました。
おから研究室拝見させていただきました。
確かに七夕幼稚園と言ってました。保育園ではなく幼稚園と言い切っていました。 当時2人の先生がいらっしゃいました。 一人はのちに右京町のみどり幼稚園の園長さん(武田シズカさん)になられています。ひょっとしたらそこで少し当時のことがきけるかもしれませんね。
コロナで2年間帰省できていません。
またこちらのHP訪問させてくださいね。
奇跡のコメントありがとうございます - つじ
2022/02/13 (Sun) 16:04:49
さくらさん、書き込みありがとございます。
七夕社宅跡の開発団地の道路をガンガン走れたのはわずかな時期。そういう遊びをして楽しいと感じる年代も当時の私の歳の上下2~3年くらい。さらに、あの周辺に住んでいなければ「高速道路(競輪場)」を自転車で飛ばして走ることもないでしょう。そんなことをやった子どもは推計100人以下です。
その超レアな体験を共有できてうれしいです。お声掛けしていただける人が現れたのは奇跡です。
いや~、有明望嶽庵をやっていてよかった~。
他の社宅では厚生省の認可を受けた保育所でしたが、七夕幼稚園は厚生省から(文部省からも)認可を受けていなかったから幼稚園と呼んでいたのではないかと思っています。
私は七夕売店のヘビーユザーではありませんでしたが、近くに行ったときだけ何か買っていました。
古い人の中には、社宅外から三池商事に買い物に行っちゃいかん!とおっしゃる方がおられました。今思うと、三池共愛購買組合(三池商事の前身)反対運動の名残かもしれません。
画像上は「高速道路」の今。下は七夕橋から見た堂面川。ここは川の向こうに三池山が正面に見える場所ですがお気に入りの場所ですが、今日は雲がかかっていました。河川整備がされたのでさくらさんがおられた頃より少しきれいにはなっていると思います。
「社宅見学会」のページは少しずつ更新しておりますが、最近は忙しいので停滞しています。
いずれ小浜社宅(職員社宅地区)の話も書きますのでしばらくお待ち下さい。
どうぞ、またお越し下さいませ。
競輪仲間の辻さまへ - さくら
2022/02/26 (Sat) 04:51:57
長溝社宅時代のことをよく思い出しています。
三池校区ギリギリでしたので、当時私はクラスで一番遠距離から通っていました。 白川、平原小学校が断然近かったのです。例の高速道路は、本当に一時期よく遊びました。自転車走らせてただけなはずですが誰と一緒に遊んでいたのでしょうか、残念ながら忘却の彼方へと記憶は飛んでいっております。
コロナ禍で私の周りは次々と陽性反応がでて私は接触者に該当するのですが、
毎日簡易テストしても陰性です。
思うに七夕売店の決して衛生的ではなかった昔の買い物のおかげで免疫がついてるに違いないと確信中です。汲み取り式トイレも然り・・
西村健氏の 地の底のヤマに出てくる 洋館は6年通った通学路に建っていましたが、木造社宅住まいの私にはモダンなあこがれの建物でした。でもいっつも閉まってました。 たった一度だけ窓があけられてたのを覚えていますが、一体だれが住んでいたのでしょうか、ご存知ですか?
先日大牟田に昭和の2年間滞在しておられた友人に西村氏の本の紹介をしました。 すぐクリック注文されたようで、彼の作品まとめて購入されてました。
「洋館」ショートストーリー - つじ
2022/02/28 (Mon) 20:52:59
おから研究室調査班によりますと、かの「洋館」は昭和33年(1958年)頃に建てられています。
古い住宅地図と空中写真を見ると、「洋館」から現在の職業訓練校のテニス場まで、一体的に「森建設工業」の敷地となっているようです。
「洋館」は鉄筋コンクリート造2階建ての住宅で、個人の方のお名前が書いてあり、平成2年(1990年)の住宅地図でも同じ名前となっています。住宅地図は空き家になった以降も同じ名前で更新されていたと思われます。
「森建設工業」の建物は昭和50年を前にして解体され、その後、職業訓練校のテニス場になりました。
「洋館」はその後も管理され、昭和56年(1981年)の銃撃戦も耐え抜きましたが(西村健さんの空想。オダケンシリーズに登場していたら爆破されていたかも。)、建設後半世紀たった平成20年(2008年)頃に解体され、現時点でも建物は建っておらず更地となっています。
画像は「森建設工業」の敷地であった頃の昭和47年(1972年)、テニス場部分の建物が解体された昭和50年(1975年)、銃撃戦直後の昭和57年(1982年 いずれも国土地理院の空中写真)、そして、令和4年(2022年)現在の「洋館」跡地です。旧堂面川の欄干については「見聞録」の「#007 残された欄干」も参照されて下さい。
なお、西村健さんは「オダケン」と「ゆげ福」のコラボ作品(読んだことがある人にしかわからないと思いますが)を執筆中とのこと。ハードボイルド&ミステリーの次回作もお楽しみに。
Re: 大牟田出身です - 永吉守
2022/05/29 (Sun) 16:46:04
さくらさん、つじさん(諸々ご無沙汰しております)
七夕社宅の幼稚園?保育園?ですが、おそらく終戦直後あたりと思われますが私の祖母(1999年没、永吉和)が園長をしていたと祖母や伯母などから聞かされております。伯母や父が幼少の頃、あのあたりに住んでいたことがある、ということでした。
祖父は炭鉱の経理だったようですが、戦争中にスマトラに赴任し、戦後処理の過程でマラリアにかかり、1947年に亡くなっているので、祖母が優先的に仕事を任されたのではないかとみられます。
Re: 大牟田出身です - 永吉守
2022/05/29 (Sun) 16:51:54
追伸ですが、本日たまたま
中川右介 2020 『萩尾望都と竹宮惠子: 大泉サロンの少女マンガ革命』幻冬舎を読んでいたら、1949年に大牟田市白川町の社宅で生まれ、4歳まで過ごしていたとありました。
永吉さん書き込みありがとうございます - つじ
2023/02/20 (Mon) 19:58:47
七夕幼稚園には、永吉さんんおご祖父様、ご祖母様のストーリーがあるのですね。
社宅の建設時期からみても、ご祖母様が園長を務められていたのは、七夕幼稚園の開設当初からと推察されますね。
さくらさんのスレッドの内容と合わせますと、ご祖母様のご苦労が、武田先生からみどり保育園に受け継がれていると思われます。
大変感慨深いですね。
はじめまして - ぽこ
2021/07/16 (Fri) 17:26:29
はじめまして。いつも大変興味深く拝見させて頂いております。私は東京生まれで現在は神奈川在住ですが、父が大牟田(小浜社宅)出身で、今年の3月に亡くなった祖父は三池製作所に長年勤めておりました。その縁でかつての三池炭鉱に興味を持ち、調べていくうちに炭鉱の歴史や文化にすっかり魅了されてしまいました。
中でも、父もかつて暮らした社宅というものに強い興味を抱いていて、というのも、自分は大牟田には何度も滞在したことがあるのですが、平成生まれなので物心つく頃には木造の社宅群はすべて解体されていて、かつての写真で見られるような、炭鉱町の象徴である社宅群の圧巻の光景をこの目で見たことがないのです。
そこで本題なのですが、「昔の航空写真地図(https://apps.apple.com/jp/app/%E6%98%94%E3%81%AE%E8%88%AA%E7%A9%BA%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%9C%B0%E5%9B%B3-70%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%97/id1177752029)」という、現在と昔の航空写真を比較できるアプリがあって、それを用いてかつての三池炭鉱一帯を現在の状況と比較して見ていたところ、グリーンランドのゴルフコース北側に、旧大谷社宅と思われるいくつかの家屋が藪の中に残っているのが確認できました。これが現存するのであれば、三池炭鉱に残る唯一の社宅群(木造?)となるので、大変貴重なものと思われるのですが、何か情報ありましたら、是非教えていただきたいです。
google mapの場所: 8Q4GXFV4+QH
大谷社宅付近 - つじ
2021/07/17 (Sat) 06:42:28
お尋ねの住宅群は、残念ながら大谷社宅ではなく、荒尾市営住宅の朝日ヶ丘住宅です。
大谷社宅は、昭和50年から51年にかけて、グリーンランドのゴルフ場が18ホールから27ホール拡張された際に解体されました。
荒尾市内の炭鉱住宅としては早い時期の解体でした。
朝日ヶ丘市住は戦後の住宅難への対応で建てられた木造と簡易耐火の住宅団地です。平成29年に解体され、今は残っていません。
Re: はじめまして - ぽこ
2021/07/18 (Sun) 09:06:22
返信どうもありがとうございます。市営住宅だったのですね!googlemapで現在も確認できるので、残っているものと思っていたのですが、最近解体されてしまったのですね。大変詳細な情報ありがとうございました。
そうなるとやはり大牟田・荒尾市内の炭鉱社宅は完全に消滅しているのですね。もう1棟も残っていないのでしょうか?
承認ありがとうございます - 大牟田炭都グループ
2021/07/16 (Fri) 06:48:40
別件ですが 書籍化の ご予定は ございますか。 貴重な資料なので 無料で 書籍化できればと思っています。
ありがとうございます - つじ
2021/07/17 (Sat) 06:20:32
ご高配を賜り心より感謝したします。
本サイトそのものではありませんが、そう遠くない将来、小生の拙文が活字となって衆目に触れることになろうかと思います。
その節はよろしくお願いいたします。
なお、私はできるだけ電子書籍としたいと思っております。(単純にPDFでも良い)
データ化ができましたら、このサイトでも見られるようにしたいです。
ただし、fc2はPDFのアップロードができないので、どこかにリンクを貼るか、別のサイトを立ち上げるか、技術的な研究をしなければなりません。
したがいまして、掲載時期は不明です。
記事の紹介 - 大牟田炭都グループ
2021/07/04 (Sun) 06:49:48
フェースブックで 記事の紹介していいでしょうか
Re: 記事の紹介 - つじ
2021/07/05 (Mon) 12:10:16
営利目的、反社会的行為でなければ、リンクフリーを基本にしております。
(動画の埋込みのみご遠慮していただいております。)
FBで大牟田炭都グループ様が確認できませんでしたが、どうぞ、まちづくりの気運の盛り上げにお役に立て下さい。
西村健の新刊「バスへ誘う男」 - つじ
2020/04/26 (Sun) 21:54:52
待望の西村健さんの新作が発刊されました。
「バスを待つ男」の第二弾。
前作のクレバーな奥さんが益々冴えわたる…
新型コロナで外出できないない連休の必読の書です。
驚愕と感動のお散歩ミステリー
トラベルミステリーの新たな傑作!!!
解決するのは、家で待つ美しい妻
謎解きと路線バスの旅が融合
実は私は、路線バスに飛び乗ってあちこちウロウロするのを趣味としている。都バス一日乗車券が500円という良心的な値段設定であり、これだけの安さで丸々一日、楽しめてしまうのだから堪らない。最終的には辿り着いた終点で、適当な居酒屋の暖簾を潜る。一日に感謝して、自分に乾杯する。東京の片隅に生じた小さな謎を解き明かす、一風変わったトラベルミステリーをどうぞお楽しみ下さい。
-----著者
2020/04/27 (Mon) 06:20:07
つじ様、『バスへ誘う男』もう入手されたのですね!先日西日本新聞の紹介記事を見て、気になってたのですが、まだ入手の行動に出ていませんでした(*_*)ぜひ早期入手を果たしたいと思います。
実は、『目撃』を読み掛けて途中までで止まってたので、この外出自粛の機会を捉えて、頭から読み直したばかりです。最終場面の意外な展開に、手に汗を握りました。
新作も楽しみです(^^ゞ
お散歩ミステリー - つじ
2020/04/27 (Mon) 21:22:25
山田さん、さっそくのレスありがとうございます。
率直に申しまして、バスおたくによる東京ローカルのミステリー小説ですが、結構、自分が乗車したように気分になれます。
次回作にも期待します。
不届き者 - つじ
2020/04/27 (Mon) 20:55:11
この非常時に不届き者が書き込みをしました。
スパム報告、ブロックし、IPアドレスをさらします。
===================================
2020-04-27 (Mon) 20:21:22
投稿者名:磯野 波平
件名:裏バイト (レス件数:0)
高額案件多数あります。
下記までご連絡下さい。
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